「ジャイ! キールタン」は、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション新ブログに移行します!
昨日は美しい満月! 皆さまご覧になりましたか〜?
月がちょうど充ち満ちる昨日、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションの新ブログがスタートしました!
タイトルは、「ヨーガを生きる〜ヨーギーたちのダイアリー〜」。現代においてはどのようにヨーガを日々実践し、それを体得していくことができるのか、ヨーガを生きるということはどういうことなのか、私たちの生の声や体験談、また各クラスでの実際の活動の様子などを交えながらお届けしていきます。ブログへの投稿者もバラエティー豊かな面々が揃います! きっと楽しい内容になると思いますので、乞うご期待ください!
それに伴いまして、この「ジャイ! キールタン」のブログも、新たなブログの方に統合することになりました。今までご愛読くださった皆さま、いろいろお声をかけてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
これからもキールタンの活動は続いていきますし、今後は新ブログの方でさまざまなご案内やご報告をしていこうと思っています。これからもぜひご覧くださいね!
月がちょうど充ち満ちる昨日、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションの新ブログがスタートしました!
タイトルは、「ヨーガを生きる〜ヨーギーたちのダイアリー〜」。現代においてはどのようにヨーガを日々実践し、それを体得していくことができるのか、ヨーガを生きるということはどういうことなのか、私たちの生の声や体験談、また各クラスでの実際の活動の様子などを交えながらお届けしていきます。ブログへの投稿者もバラエティー豊かな面々が揃います! きっと楽しい内容になると思いますので、乞うご期待ください!
それに伴いまして、この「ジャイ! キールタン」のブログも、新たなブログの方に統合することになりました。今までご愛読くださった皆さま、いろいろお声をかけてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

これからもキールタンの活動は続いていきますし、今後は新ブログの方でさまざまなご案内やご報告をしていこうと思っています。これからもぜひご覧くださいね!
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言葉が仏様になる!

行ってきました! 六波羅蜜寺!
そうです、キールタンをしておられる方ならきっとご存じ(!?)、あの空也上人の像が安置されているお寺です。
以前から空也上人のことは何度か耳にしたことはあり、一度はその像を見に行ってみたいな〜とずっと思っていました。
空也上人は、平安時代に生きた方です。当時、仏教の教えは皇室や貴族たちを中心に広まっていて、一般庶民はその教えを聞く機会がほとんどなかったといわれています。空也上人は生きることに苦しむ民衆を救うため、市井に飛び込み、「南無阿弥陀仏を唱えなさい」と念仏によって救われることを説き回りました。空也上人の在世当時は末法の世。人々は空也上人を通して仏の教えを知り、安心を得たといわれています。
その空也上人の像はとても有名だそうですが、それはそのユニークさにあるのかもしれません。ほらっ!

首からかねをぶら下げ、それを叩く棒を持ち、もう片方の手には鹿の角がついた杖を持っています。そして口からはなんとまぁ! 六体の仏様が!
空也上人が「南無阿弥陀仏」と唱えると、その一音一音(南・無・阿・弥・陀・仏)は仏様となって現れたそうです。
お寺の中は撮影禁止となっていたため、いただいたパンフレットを掲載しましたが、実際にその像を見てみると、とっても魅力的な像でした。思っていたよりも小さかったのですが、力強くて躍動感があります。そしてその目はきらきらしていて、どこか遠い一点だけを見つめているようです。空也上人はいったい何を見ていたのだろう、そして何を感じていたのだろう、彼が唱えた念仏は、いったいどんなふうだったんだろう、そう思いながらその像をじーっと見つめていると、突然ぽんぽんっと、誰かが私の肩を叩きました。
びっくりして振り返ると、お寺の受付の方が。
「あんた! 今どこ見とったんや!」
「(えぇっ?!)……目ですけど?」
「ほほぅ〜、なかなか見る目がある」
「……?」
どうやら像の目には水晶が使われているらしく、私が立っていた位置からはいちばんその輝きが見えるようでした。なるほど〜、どうりでキラキラ光っていたんですね。
「仏像はな、正面から見るだけのものとちゃうねんで! こっち来てみ!」
親切なおじさまに言われるがままについていき、反対側に回ると、空也上人の腰がくの字に曲がっているのが見えました。
「年取るまで、教え回ったんや」
私自身は仏教や空也上人についてはあまり詳しくないのですが、当時、その姿は本当に革命的だったんだろうなぁと思います。彼は一人で仏教の世界から飛び出し、人々に念仏をすすめただけでなく、井戸を掘ったり橋を作ったりと、その生涯を民衆のために捧げ尽くしました。
念仏とは少しイメージは違うかもしれませんが、神の御名を唱えるという意味では、キールタンのエッセンスと変わりません。
”神の御名は神そのもの!”と説いたシュリー・チャイタニヤのように、いつか私たちのキールタンも、主そのものが顕れてくださるような本物のキールタンになりますように!
今年のWSシリーズのおさらい会をします!
今年、シリーズで始めたキールタンワークショップも、いよいよ最終章を迎えました。今シリーズは間もなく終わりを迎えようとしているのですが、今年一年間せっかくみんなで一緒にいろいろと学んできたのに、このまま終わってしまうのはおしいっ! ……というわけで、今シリーズのおさらい会をすることにしました
。
通い続けてくださったあなたも、また、なかなか機会がなくて来れなかったあなたも、ぜひご参加ください! 京都と大阪で一度ずつ同じ内容のものを行ないます。
<京都>
日時:2013年12月15日(日) 14:00〜16:00
会場:ヤマモトビル2F 京都市左京区下鴨本町14
★今回、会場が変わります! ご注意ください!
参加費:¥2,500

<大阪>
日時:2014年1月17日(金) 19:00〜21:00
会場:プリヤメーラ
参加費¥2,500
皆さまのご参加をお待ちしております。
今年一年で、少しは神を愛する者たちの思いに近づけたかしら〜。さらにもっと近づけるかしら〜。

通い続けてくださったあなたも、また、なかなか機会がなくて来れなかったあなたも、ぜひご参加ください! 京都と大阪で一度ずつ同じ内容のものを行ないます。
<京都>
日時:2013年12月15日(日) 14:00〜16:00
会場:ヤマモトビル2F 京都市左京区下鴨本町14
★今回、会場が変わります! ご注意ください!
参加費:¥2,500

<大阪>
日時:2014年1月17日(金) 19:00〜21:00
会場:プリヤメーラ
参加費¥2,500
皆さまのご参加をお待ちしております。
今年一年で、少しは神を愛する者たちの思いに近づけたかしら〜。さらにもっと近づけるかしら〜。
CD vol.3
京都語り芝居『北極星になったドゥルヴァ』


9/16(月)、京都にて語り芝居『北極星になったドゥルヴァ』を行ないました。この日は台風の影響で、前日からの強烈な雨と風のため、多くの交通機関がストップしました。京都市内はもちろん、県外からのアクセスが非常に困難で一時はどうなることかと思いましたが、そんな悪天候の中、みなさん本当に苦心しながらも来てくださり、またお昼からは晴れ間も見え、なんとか無事開演するができました。
このドゥルヴァの物語をさせてもらうのは松山に続いて二回目でした。同じ題材を扱っていても、行なう時や場所が変われば、私たち演じる側もまた少し印象が変わるような気がしました。お借りしたギャラリーju:彩さんは音の反響もよく、また天井も高くて、開放感がありました。
*****
この物語は、ある王宮に生まれた一人の少年ドゥルヴァが、義理のお母さんに言われた言葉に傷つき、本当の幸せとは何なのか、神さまは本当にいるのかを探し、求めていく物語です。修行を重ね、その結果、本当に大好きな神さまを見ることができるのですが、なんとその神は一瞬にして消え去ってしまうのです。
その時ドゥルヴァはなぜ神が消えてしまったのかは分からず、深い悲しみに襲われるのですが、でも王宮に帰るしかすべがなく、戻ってまた元の暮らしを続けていきます。
やがてドゥルヴァは成長し、父親から王位を継いで、つつがなく暮らしていましたが、そんなある日、弟が突然、鬼神たちに殺されてしまうのです。烈火のごとく怒るドゥルヴァ。弟のかたきを討ちに飛び出し、戦闘が始まります。そんな中、再び神の声が聞こえてくるのです。
「今すぐ戦いをやめなさい。お前の弟は死んでいない。肉体には始まりと終わりがあるが、魂は永遠である!」
主の言葉を聞いて、ドゥルヴァはようやく我に返り、激しく後悔します。そして、自分の心の中に怒りの感情がずっとくすぶっていたこと、またそれがあったからこそ、あの時、神が自分の元から消えてしまったことに初めて気づきました。そして、今後は自分の心を真に修めていくことを誓い、そして最後に一つだけ神にお願いをします。それは、
「どうかいつも神を愛することができるように」
というお願いでした。
ドゥルヴァはその後、心に主を思いながら、人々のために働き続けました。誰からも賛辞を受けなくても、評価されなくても、ひたすら黙って行為し、神の道に沿って生きることを貫き通したのです。
長い長い年月の後、ドゥルヴァはようやく自分の心の中に、そしてすべての者の中に神が存在していることを見ました。
偉大なる働きを終えたドゥルヴァは、肉体を離れた後、愛おしい主、ヴァースデーヴァが住む永遠の世界、ヴァイクンタに到着します。そして、惑星がいつもそれを中心として回る、また人々には北の方角を教え、神に至る人生の生き方を示す目印として、天に輝く北極星となりました。
*****
私自身、この物語を通して、幼いドゥルヴァがたった一人っきりで、神だけを求めた心境はどんなものだったのか、また、主が本当に目の前に現れてくださった時の感動はどれほどのものだったのか、できるだけ物語から感じ取りたいと思いました。このシーンだけは、どんなに演出や体裁を整えたとしても、自分の心境が伴わないと何も伝わらないし、嘘のものになるからです。そんな中で感じたことは、真の孤独が必要なんだということでした。
何も、誰も頼るべきものがなく、自分自身でさえもあてにならず、この果てしない大宇宙の中でたった一人であるという、恐怖心を伴うほどの強烈な孤独感です。神に頼りたい。でもその神もまだ見えない。この心の矛先はやがてたった一点だけに極まるようになりますが、その先にはもはや神という言葉すらもない状態なのかと思いました。
後半では、ドゥルヴァの固い決意と、神への深い愛が、黙々と働き続けた行為の中にありありと現れているようでした。大きな喜びに満ちるはずだった神との再会が、このような形での実現となったこと、ドゥルヴァはどれだけ後悔し、また感謝もし、複雑な心境となったことか。そして真に改心し、自らの喜びを一切求めず、神のヴィジョンも、愛されることも求めず、人々の幸せのために生涯を尽くしたのです。
考えてみると、聖者といわれる人たちは、このような生涯を辿った方も多くいらっしゃるのではないかと思いました。一旦神が消えてしまうことや怒りという感情のことは別としても、激しく神を求めて見神し、その後人々の中に神を見て行為をし続けたということです。
ドゥルヴァの物語は一つの神話かもしれません。でも私たちはこういったさまざまな神話や、神なる存在を通しながら、実際に具体的に神への思いを高めていくことができると思います。このドゥルヴァの物語は、私たちに本当に多くのことを教えてくれています。

最後に、いただいた感想をご紹介します。
「とても美しいお芝居で感動しました」
「すっごく良かったです。ドゥルヴァの純粋な強い強い信仰にインスパイアされました。理想の神お一人をずっと思い、常に共にいることが、一人一人の中に神の顕れを見ていく鍵だと思いました。久しぶりにキールタンを歌って、みんなの存在がとても尊いものだと感じました。ありがとうございました」
「神を求める気持ちが迫力をもって伝わってきた。キールタンの声とバーンスリーの音色が澄み切ってきれいだった。ドゥルヴァが怒って戦いに出たシーンでは本当に怖かった。ドゥルヴァのようになれたら幸せだと思った」
「とてもいいお話でした。そして分かりやすかったです。印象的だったのは、ドゥルヴァがいつも神を愛することができるよう祈ったところです。究極の祈りだと思いました。そしてそのことはすべての人の中に神を見、愛するということなのですね。とても清々しい思いになりました」
「熱演と笛や楽器がぴったりと合っていて、一つの体が分かれて演じているように感じました。神を求めることの素晴らしさを感じました。途中ダンサーの二人が入ってきて、メリハリもあってよかったです! 第三弾に期待しています」
お越しくださった皆さま、そして快く、とても親切に会場をお貸しくださったオーナーさま、本当にありがとうございました。
晴れた日には時々夜空を見上げてみて、またこの物語を思い出してもらえたらうれしいです。