言葉が仏様になる!

行ってきました! 六波羅蜜寺!
そうです、キールタンをしておられる方ならきっとご存じ(!?)、あの空也上人の像が安置されているお寺です。
以前から空也上人のことは何度か耳にしたことはあり、一度はその像を見に行ってみたいな〜とずっと思っていました。
空也上人は、平安時代に生きた方です。当時、仏教の教えは皇室や貴族たちを中心に広まっていて、一般庶民はその教えを聞く機会がほとんどなかったといわれています。空也上人は生きることに苦しむ民衆を救うため、市井に飛び込み、「南無阿弥陀仏を唱えなさい」と念仏によって救われることを説き回りました。空也上人の在世当時は末法の世。人々は空也上人を通して仏の教えを知り、安心を得たといわれています。
その空也上人の像はとても有名だそうですが、それはそのユニークさにあるのかもしれません。ほらっ!

首からかねをぶら下げ、それを叩く棒を持ち、もう片方の手には鹿の角がついた杖を持っています。そして口からはなんとまぁ! 六体の仏様が!
空也上人が「南無阿弥陀仏」と唱えると、その一音一音(南・無・阿・弥・陀・仏)は仏様となって現れたそうです。
お寺の中は撮影禁止となっていたため、いただいたパンフレットを掲載しましたが、実際にその像を見てみると、とっても魅力的な像でした。思っていたよりも小さかったのですが、力強くて躍動感があります。そしてその目はきらきらしていて、どこか遠い一点だけを見つめているようです。空也上人はいったい何を見ていたのだろう、そして何を感じていたのだろう、彼が唱えた念仏は、いったいどんなふうだったんだろう、そう思いながらその像をじーっと見つめていると、突然ぽんぽんっと、誰かが私の肩を叩きました。
びっくりして振り返ると、お寺の受付の方が。
「あんた! 今どこ見とったんや!」
「(えぇっ?!)……目ですけど?」
「ほほぅ〜、なかなか見る目がある」
「……?」
どうやら像の目には水晶が使われているらしく、私が立っていた位置からはいちばんその輝きが見えるようでした。なるほど〜、どうりでキラキラ光っていたんですね。
「仏像はな、正面から見るだけのものとちゃうねんで! こっち来てみ!」
親切なおじさまに言われるがままについていき、反対側に回ると、空也上人の腰がくの字に曲がっているのが見えました。
「年取るまで、教え回ったんや」
私自身は仏教や空也上人についてはあまり詳しくないのですが、当時、その姿は本当に革命的だったんだろうなぁと思います。彼は一人で仏教の世界から飛び出し、人々に念仏をすすめただけでなく、井戸を掘ったり橋を作ったりと、その生涯を民衆のために捧げ尽くしました。
念仏とは少しイメージは違うかもしれませんが、神の御名を唱えるという意味では、キールタンのエッセンスと変わりません。
”神の御名は神そのもの!”と説いたシュリー・チャイタニヤのように、いつか私たちのキールタンも、主そのものが顕れてくださるような本物のキールタンになりますように!